SONY BRAVIA 4K「美へのこだわり」篇(2013年)

ベテランのCMディレクターともなれば、仕事を依頼される時は制作会社のプロデューサーが旧知の仲か、クライアントや担当のクリエイターがぼくを信頼してくれているか、何か手がかりがあるものである。でも、この時は違った。知らないプロデューサーだし、クリエティブのスタッフにも思い当たるところがない。冷やかしじゃないのか?「いえ、スケジュールさえ合えば頼みたいそうです」とマネージャー。そのクライアントの仕事は多く手がけてきたということだけを頼りに、半信半疑で打ち合わせに出かけた。それが鈴木篤史さん(株式会社xpdチーフエグゼクティブプロデューサー、当時CM制作会社MONSTERFILMSのプロデューサー)との初めての出会いだった。

紙漉・螺鈿・染色など、日本の伝統技術をいまに受け継ぐ作家たちと彼らが造り出すモノの繊細かつ洗練された美。その象徴としての石庭と茶湯の世界によって、SONYが世に問う4Kの美しさを表現する。打ち合わせで手渡されたのは、そんな正攻法で直球の企画だった。初対面の担当クリエイティブ、島津裕介さん(電通、当時はドリームデザイン)と加我俊介さん(電通)からも、クライアントの期待を背負った緊張感が伝わってきた。

それにしてもプロデューサーとしてはかなり難易度の高い仕事である。何しろ、ホンモノに出会わなければならない。国宝級の寺院で撮影するのも難題だった。すでにかなりリサーチが進んでいて、染色家の吉岡幸雄さんや和紙作家の堀木エリ子の名前が上がっていたし、伝統工芸や気鋭の作家たちの資料や書籍を大量に手渡された記憶がある。後になってわかったことだが、京都のしかるべきお茶の世界にも協力関係を取り付けていたらしい。難易度が高い以上に、プロデューサーとしてこれ以上やりがいのある仕事はない、と言うべきか。

その頃、ダイワハウスCMの金沢ロケを通して裏千家のお茶人や菓子職人とも親交のあったぼくは、撮影の主要な部分を京都ではなく金沢にすることを鈴木プロデューサーに提案した。漆器作家・赤木明人さんに紹介された金沢在住の漆工芸作家・山村慎哉さんの蒔絵や螺鈿細工も、今回のテーマにピッタリだと思われた。東北芸術工科大学に着任して2年目のある春の日、大学の研究室から「金沢ロケにしませんか?」などと呑気に電話していたことを覚えている。「京都の方でもすでにお茶の先生と連絡がついていまして…」と、やや困惑した声が聞こえてきたが、プロデューサーの勘が働いたのか、鈴木さんの切り替えは早かった。結果的にCMは、かなりの部分を金沢で撮影することになったのだが、水面下で「京都から金沢へチェンジする」ことがいかに大変だったかを聞かされたのは、撮影が終わって編集室で仕上げに入っていた時だったと記憶している。

ぼくのしたことは、いわば一CMディレクターがプロデュースの領域に踏み込んだ越権行為である。でも、ベテランCMディレクターが時にはプロデューサー的な役回りをするのはむしろ自然なことだろう。最近では、CMプロデューサーであることに飽き足らず、課題解決のためのコミュニケーション構築とそのプロデュースへと向かっている鈴木さんからすれば、「お互いの領域に踏み込む」ことなど取るに足らない、むしろ積極的に受け入れるべきことかもしれない。

それにしても、数多いるディレクターのなかで、なぜぼくだったのか?なぜぼくをキャスティングしてくれたのだろう?後日その質問をむけてみたところ、当時毎日のように広告とCM業界へ問題提起的なことを書いていたぼくのブログを読んで興味を持ってくれていたと言う。それがわかっていよいよ鈴木篤史プロデューサーには「同士的」とも言うべき共感が生まれた。ディレクターとプロデューサー、お互いの領域を犯すことがあっていい。課題解決のためには、もはやCMはそのほんの一部でしかない。難しいけれど、ぼくも鈴木さんも、そんな場所に立っているように思えるのだ。

2021.06.12